感度や音質といったラジオの基本性能がある程度の限界に達し、いよいよ、デザイン戦争が勃発した昭和の後半。ワールドバンドレシーバーであるソニーのスカイセンサーと松下(現パナソニック)のクーガーがしのぎを削っていた。折しも、BCLブームのまっただ中、多くの人が、海外からやってくる電波にロマンを感じていたのだ。しかし、そんなロマンはバブル突入とともに吹き飛んでしまい、さらには、バブルそのものが崩壊。そうして迎えた、平成。ラジオにとって冬の時代とも言われた30年間を、それでも華やかに彩ったラジオたちを紹介する。 ※すべて生産終了しており、一部の機種は中古市場でも高値をつけている 文/手島伸英(横浜探偵団)
アナログの皮を被った初めてのフルデジタル
TY-AR55(東芝)
「どう見てもアナログラジオにしか見えないのに、内部的にはデジタル」という画期的な新技術を、筆者が知る限り初めて製品として投入したラジオ。これまで、チューニングゲージ(針)があるラジオはすべてアナログだと思われてきたが、その考えがまるっきり通用しなくなった。
ラジオには同調というプロセスが必要で、アナログラジオの場合、バリコン(可変容量コンデンサー)によって同調周波数を変えて選局する。多くのアナログラジオでは、そのバリコンの回転を針で直線的に表現し、周波数を表示しているのだ。この回路構成を組み替えて一部だけデジタル化したものがPLL方式で、これによって多くのラジオがデジタル表示となった。とはいえ、信号の流れ自体はアナログ。どんなにサイボーグ化して戦闘力を上げても、中身は生身の人間だったわけだ。
しかし、TY-AR55の場合は、アナログという人工皮膚を身にまとった完全なAIロボットのイメージ。アンテナからICチップに入った信号は、周波数変換を経てサンプリングされ、A/Dコンバーターによって数値データーへと形を変える。後は、計算によって音声信号に戻され、アンプで増幅したのち、スピーカーから再生されるのだ。ちなみに、選局周波数を決定するデバイスとしては、バリコンの代わりに可変抵抗器が使われている。
ラジオとしての性能自体はごく普通で、機能も特別なものはない。だが、何年か経ってラジオの歴史を振り返る時、テクノロジー的には大きな分岐点となる製品だったことがわかるに違いない。
中華ラジオの真骨頂を見た
PL-880(TECSUN)
それまでの「安かろう悪かろう」のレッテルを見事に剥がして見せた、中華ラジオの決定版とも言えるラジオ。いわゆるDSP(デジタル信号処理)機で、受信系統の一部をデジタル化することによって、その後の様々な信号処理を劣化無く行うことができるのが特徴だ。この時期の中華ラジオはDSPを謳うのが流行っていたこともあり、実は、どこまでがDSPなのか微妙な機種も存在した。だが、PL-880は、検波以降の最も重要な部分をきちんとDSP化しているようだ。
機能はこれでもかといわんばかりの「全部のせ」で、LW/AM(MW)/SW/FMステレオに対応した受信範囲の広さもさることながら、全部で3050件にも及ぶ豊富すぎるメモリーは、その使い道に困るほど。また、SSB受信や、不安定な隠し機能ながら同期検波にも対応するなど、ライバル機であるICF-7600GRへの対抗心が見て取れる。
実際の受信においては、DSPらしい、クセのないクリアな音が特徴で、エッジの効いたAMの音質には感動すら覚えるほど。また、「AM BW(受信帯域)」の切り替え機能が秀逸で、受信帯域を2.3/3.5/5.0/9.0kHzと切り換えることが可能だ。混信の状況に応じて、自在に使い分けられるのは、受信していて快適だし、とにかく楽しい。
日本製に負けないほど高感度でもあり、メインのワールドバンド・レシーバーとして、十分に能力を発揮してくれる一台といえる。
ラジオ録音の歴史はここから始まった
ラジオサーバー VJ-10(オリンパス)
ラジオはカセットやMDなどの記録媒体に録音するものという先入観を拭い去り、ラジオに初めてハードディスクを搭載して、番組を「収集・蓄積」する楽しさを具現化してみせた開拓者である。搭載していたのは40GBのハードディスクで、そのうち37GB分を使って、長時間モード(WMA/32kbps)ならば約2500時間もの録音が可能というモンスターであった。
2007年の発売当初は、NHKの語学講座を見据えた学習機としての色合いが濃かったこともあって、オリンパスのオンラインショップと三省堂書店の店頭でのみ、限定販売された。ところが、これが…売れた!ちなみに、内閣府の消費動向調査によれば、ちょうどこの頃、テレビのハードディスクレコーダー世帯普及率が4割を突破していて、番組を蓄積する楽しさや便利さが既に広まっていたこともプラスに働いたのかも知れない。結果として、多くの販売店で販売されるようになっていった。
今でこそ光学機器のイメージが強いオリンパスだが、マイクロカセットの時代から小型レコーダーのトップシェアを誇る、隠れた音響メーカーだったこともあって、VJ-10はラジオとしても、音響機器としても良くできていた。受信感度はごく普通だが、安定した受信ができるよう、AM、FMともに外部アンテナ端子を装備。USB接続でパソコンとも連携するなど、初めて世に出た製品でありながら、極めて高い完成度を誇っていた。
AM・FMともに音が素晴らしい!
ICF-M780N(ソニー)
まず、感度が良い。一般的に感度が良いとされるICF-EX5MK2との比較では、AMとラジオNIKKEIがほぼ同程度の感度を誇り、FMにいたっては、ICF-M780Nの方が高感度だった。そして、そんなに高感度なら電池を食いそうなものだが、単2形アルカリ乾電池3本で、なんと100時間も聴けてしまう。普通の使い方なら、1カ月ぐらいは電池交換無しで使えるはずだ。ちなみに、ACがコードで直結できる構造になっておりそちらを使えば、電池の心配もない。
そして、なにより、音が素晴らしい。たとえば、AM放送なんてそんなにレンジが広いわけでは無いはずなのに、低音から高音までスムーズに再生されている。音が本来持っている「優しさ」や「つや」までも感じられると言ったら大げさだろうか。もちろん、この表現は、FMにだって当てはまる。無理にステレオにしていないのも、また良い。ステレオ復調時の分離ノイズが発生しないことはもちろん、スピーカーふたつ分のスペースを使えば、より大きな、再生能力の高いスピーカーを搭載できるからだ。結果、ICF-M780Nは直径10cmのスピーカーを搭載し、これまでに無い音を出すことに成功している。
取り立てて派手でもなく、目新しくもなく、デザインも機能もごく普通のホームラジオでありながら、ひとつひとつの基本性能を高めていくとここまで到達するのかと、聴く者を唸らせる、平成を代表する究極の普段使いラジオである。
名実ともにフラグシップ
ICF-SW77(ソニー)
1990年代の前半、ICF-SW77、SW55、SW33というラジオのシリーズがあった。中でも、最初に発売されたのがICF-SW77で、超高級指向のワイドバンドレシーバー。当時の税抜き価格で74,800円と高価だったが、当時のラジオマニアたちはカタログを手に「いつかはICF-SW77」と、夢見てやまなかった。
液晶2画面のうち、上半分がタイムゾーン表示、下半分が周波数や放送局名などの受信情報表示となっていて、全部で172件あるメモリーのうち、購入時から、放送局名付きの周波数データー100件がプリセットされていた。このメモリーには放送時間のデーターも含まれているので、それをタイムゾーンにバーグラフ表示したり、同一時間に複数周波数で放送されている場合には、状態の良い周波数を自動選局させたりできた。S1~S5まであるダイレクト選局ボタンには放送局名の「ラベル」が表示されているので、メモリーのページを切り替えつつ、ラベルを見て放送局名を選べば、周波数を意識すること無く、その時間帯に放送されているベストな電波を受信できたわけだ。
さらに、ソニーのお家芸である同期検波回路が搭載されているほか、SSBの受信にも対応。さらに、受信バンド毎に複数のバンドパスフィルターが搭載されていて、周波数に応じて自動的に切り替えるなど、通信型受信機も真っ青であった。もちろん、この頃の高級機では定番だったSメーター(信号強度計)も標準装備されている。
受信感度も音質も弱点は見当たらず、まさに、完璧な一台と言うにふさわしいフラグシップだったのだ。
AMラジオ受信では文句なしのナンバー1
ICF-EX5MK2(ソニー)
初代ICF-EX5が発売された1985年から、部品調達や製造上の都合などでいくつかのマイナーチェンジはあったものの、33年間にわたってほぼ同一設計のまま昭和~平成を駆け抜けた名機である。地デジ化によってテレビの受信目盛が廃止されたり、ラジオたんぱがラジオNIKKEIになったことに伴って表記が変更されたりしたため、2009年からはICF-EX5MK2を名乗っている。ソニーでは、特に高感度なものを「ザ・感度シリーズ」として差別化しているが、その名を冠した数少ないラジオでもあった。
AMの感度はずば抜けており、ローカル局ならば感度切り替えをLOWにしても十分なほど。もちろん、HIGHに切り替えれば、遠距離受信も悠々とこなす受信感度には惚れ惚れする。バーアンテナの指向特性やフィルター、AGC(自動利得調整)のかかり具合まで、完成された受信性能は完全に他を圧倒し、追随を許さない。この頃のトレンドでもあった同期検波機能が搭載されており、フェージングや混信が激しいケースなど、条件の悪い局の受信時に威力を発揮する。
10cmという大口径スピーカーを搭載していることもあって音に無理がなく、クリアでパンチの効いた音がする。結果、遠くの放送局でもノイズや混信に埋もれること無く、しっかりと聞き分けることができるのだ。
17年君臨したワールドバンドレシーバーの王
ICF-SW7600GR(ソニー)
大手メーカー各社が、軒並み、短波ラジオから撤退する中にあって、良心的な価格設定を維持しつつ、必要十分な高機能で平成のBCL界を引っ張ってきた立て役者、ICF-SW7600GR。70年代の後半に「ハイ・コンパクト・レシーバー7000シリーズ」のひとつとして生み出された初代ICF-7600の流れをくむ、正統な後継者である。
初代ICF-7600は、まだ、ダイアルを回して針でチューニングを行うタイプだったが、1983年のICF-7600DからはPLL化され、以来、ICF-7600DA、ICF-7600DS、ICF-7601(非PLL)、ICF-SW7600、ICF-SW7600Gと進化して、2001年にICF-SW7600GRが発売された。以来、17年間、モデルチェンジをすること無く販売され続けた。
さすがに7000シリーズの最終形態だけあって、AM/SW/FMのすべてで感度が良く、受信系統は洗練されている。受信周波数範囲のどこかに謎のノイズや発振が入ることも無いし、感度ムラも感じられない。高感度だからこそ生きてくるATT(信号減衰器)機能を搭載し、操作もシンプルで直感的。もちろん、ソニーらしく、SSBの受信と同期検波に対応しており、筆者も本当にお世話になった。
ところが、そんなICF-SW7600GRも、2018年の春に製造が終了。ソニーが販売していた最後のワールドバンドレシーバーだったため、「ソニーがワールドバンドレシーバーから撤退」と大きく報じられた。
ラジオ録音の最終形態
ICZ-R51(ソニー)
ラジオ番組を「収集・蓄積」する楽しさを具現化してみせた開拓者がVJ-10なら、それを一般に普及・定着させたのがICZ-R50/51である。
ICZ-R50が発売されたのは、2011年。当時、ラジオ放送業界には先細り感が漂い、リスナーとどう向き合うか、ラジオ離れをどうやって食い止めるかを必死で考えていた。一方、世の中的にも、24時間働くことに疑問が生まれ、眠らない街が眠りを求め始めていた。そして、東日本大震災。そうした時代背景と強烈にマッチしたのだろう、わずか2万円弱という価格設定も功を奏し、好きな番組を好きな時に聴けるICZ-R50は、爆発的なヒットとなった。長い間品薄の状態が続き、大手量販店ですら、予約しないと手に入らない状況だったのである。
それからわずか2年後の2013年、満を持して、ICZ-R51が発売。ソニー自らが「ユーザーの要望に応えた」とするだけあって、様々な改良が加えられていた。大きいところでは、内蔵メモリーが4GBから8GBに倍増したほか、時報に合わせて内蔵時計を修正する自動時刻補正機能が追加された。細かいところでは、電源ボタンの周囲に不用意に押さないための「でっぱり」が追加されたり、倒れやすい本体を安定させるために小さな「足」が追加されたりもした。これまで、黙々とマーケティングデーターを活用することはあっても、ユーザーの声に真摯に耳を傾ける姿勢はほとんど見せてこなかったメーカー(ソニーに限らず)としては、大きな方向転換とも言える。結果、ICZ-R51はICZ-R50以上の大ヒットとなり、平成の大ヒット商品と言えるまでに成長した。
しかし、その勢いを止めてしまう大事件が勃発する。そう、ワイドFM(FM補完放送)だ。2014年からスタートしたこの制度では、原則として90.1MHzから94.9MHzを使用するが、直前にアナログテレビ放送が終了していたこともあって、ICZ-R51では、FMの受信範囲を76MHzから90MHzまでとしていたのだ。
電波行政の荒波にもまれ、発売からわずか1年で時代遅れとなってしまったICZ-R51。ワイドFMに対応したICZ-R52を待ち望む声も相当根強かったと思うのだが、ついに、発売されることなく、ラインナップから消えていったが、そのスピリットはワンセグテレビ音声も受信できるICZ-R260TVに受け継がれている。
おしまいに
受信機としての基本性能を追求したのが昭和なら、平成は、そのテクノロジーを進化・発展させ、付加価値を生み出すことに費やされた30年だったと言える。一見短命に終わったテクノロジーも、AMステレオ放送が局内設備のステレオ化に貢献し、rajikoではステレオで聴けるという状況を生んだり、ほとんど普及しなかったFM文字多重放送はその技術がカーナビの渋滞状況を表示するVICSやGPSの精度を上げるDGPSでの情報伝送に活用されていたり、転んでもただ起きない。
ラジオは、今後も、新しいものを吸収しつつ、進化していくだろう。気づくか気づかないかは別として、そのテクノロジーは、我々の生活を豊かにしてくれるに違いない。
果たして、次の30年、ラジオは何を聴かせて、見せてくれるのだろうか?